『伏 鉄砲娘の捕物帳』公開記念イベント「宮地昌幸監督×米林宏昌 トークショー」

(2012年11月9日のツイート)
新宿で再びスペシャルイベント!「『伏 鉄砲娘の捕物帳』公開記念イベント第二弾 宮地昌幸監督×米林宏昌さんトークショー」レポート! 2人の監督が明かす映画制作裏話!

米林宏昌は1996年ジブリ入社。宮地昌幸は1998年ジブリ入社で、米林の方が先輩。『千と千尋の神隠し』のとき、宮地は演出助手、米林は長編映画で初めて原画を担当。

千尋はハードなスケジュールだったが宮地さんのお人柄で現場を和ませていた。(米林)
釜爺シーンの作画で米林さんは宮崎(駿)さんにめちゃめちゃ褒められて、それから宮崎さんのお気に入りになった。(宮地)

(宮地昌幸監督作『伏 鉄砲娘の捕物帳』の感想)
世界の広がりが感じられて、架空の江戸にずっと居ていたいと思った。楽しかった。(米林)

(『借りぐらしのアリエッティ』を監督して)
映画をコントロールすることより、完成できるかどうかで頭がいっぱいだった。その場その場を、アニメーターとして培ってきた経験と勘を頼りにしてつくった。アリエッティの原作が素晴らしいので緊張した。(米林)

アリエッティのプレゼンテーションを宮崎駿監督にして、言葉の使い方で怒られる。たとえば、「キャリアウーマン」という単語を出すと「そんなこと言うな!」と。プレゼンも全否定。(米林)

アリエッティは女の人が主人公だったから、僕のなかにある少女性を出していった。女性っぽくないものを出すと、ジブリには女性がたくさんいるので、「そうじゃない」とつっこまれる。でも、結局は自分の中からしか出てこない。(米林)

米林さんはあんまり男性的じゃない。少女漫画誌の『りぼん』を愛読。かわいいぬいぐるみを集めたりもして。ジブリの休み時間に、雨のなか女子高生が傘をささずに自転車をこいでいるのをみて、「濡れたかったのかもしれませんね」と一言。そういう詩情を持っている。(宮地)

僕は宮崎作品しかやっていないので、宮崎駿監督の影響は否が応にも受ける。(米林)

大粒の涙を流す、いわゆるジブリ泣き。これは心理学者・河合隼雄さんの影響。悲しいときには大きなものが出る(というユング心理学の影響?)。(『伏 鉄砲娘の捕物帳』のキャラクター)浜路にも大粒の涙を流させた。(宮地)

(ジブリの強みについて)
ケレンではなく、愚直に描いていく。丁寧に描く。それがジブリっぽさではないか。(米林)
他社だと車もCGになってしまう。まず車や猫を描けるアニメーターを探さないといけない。(宮地)

宮崎さんは大人になった。アリエッティではすごい我慢をしたのではないか。いつもだったら「オレがやる!」と、そういう姿しか見たことがない(笑)。(宮地)

(近況について)
今は宮崎駿監督の作品(『風立ちぬ』)にアニメーターとして参加しています。(米林)

※当記事における宮地昌幸・米林宏昌両監督の発言は、私の記憶とメモから再現されたものを含み、省略や言い換え、解釈が混じっており、原文のままではありません。なかには勘違いや拡大解釈されたものがあるかもしれませんが、あしからず。

立正大学講演会「鈴木敏夫プロデューサーに聞く~3.11後のジブリアニメの予感~」
宮崎駿の〇〇神話発言まとめ
三鷹の森アニメフェスタ2012 宮崎吾朗監督講演会レポート
『山口智子×鈴木敏夫“話をする二人”』の内容&宮崎駿の次回作についての考察
『シャーロット姫』と『崖の上のポニョ』


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世界で唯一オリジナルの栄エンジンで飛行可能な零戦52型『61-120』(米国PLANES OF FAME航空博物館所属)

(2012年11月28日、2013年3月31日、4月2日、4月4日のツイート)

YouTube-"FHD 伝説の名機体! 零戦来日! 蘇る栄エンジン始動! 組立見学会!!零式戦闘機"


YouTube-"航空発祥記念館 零戦エンジン始動・タキシング見学会"


YouTube-"零戦52型エンジン始動見学会 元零戦パイロット 原田要インタビュー"


ニコニコ動画-"零戦エナーシャ起動デモ、20mm機銃、自動消火装置等の説明"


JSF Today No.127/Jan.2013 特集=所沢航空発祥記念館 日本の航空技術100年展~零戦来日~』(PDF)

<航空記念館運営部・企画広報室>

 『零戦招致への道のり』

 「世界で唯一オリジナルのエンジンで飛行可能な「零戦展示」を企画して、足かけ3年。2012(平成24)年にようやく実現しました。当該機体は、1978(昭和53)年、1995(平成7)年にも日本へ里帰りしており、今回は3度目の来日となりました。2012年11月27日(火)、28日(水)の「組立見学会」、12月1日(土)、2日(日)の「エンジン始動見学会」には、全国から多くの航空機ファンが訪れ、改めて本物の零戦のインパクトは予想以上のものであると感じています。
 当初は、2011(平成23)年の「所沢航空発祥100周年記念」の目玉展示として計画を進めていましたが、東日本大震災の影響をはじめ、途中、何度となく計画を断念せざるを得ない事態に陥りました。
 今回、零戦をお借りしたアメリカのPLANES OF FAME航空博物館(以下、POF)との契約交渉も初めてのことで、最初にPOF側より借用にあたって3つの前提条件が文書で提示されました。この3つの条件をクリアすることが、この企画の最大の課題で、来日が確定するまで担当者として一番苦労した点です。
 まず1つ目は、所沢での展示後、「必ずアメリカ(POF)に返却する」という文書の提出を求められました。戦時中にサイパン島でアメリカ軍に捕獲されたこの零戦はいわゆる戦利品となっており、日本に貸した際に、「もともと日本の機体なので、返還してほしい」との声が挙がることをアメリカ側は一番恐れているようでした。これは、埼玉県知事の「所沢での零戦レンタル展示」の承認を得て、POFと契約を結ぶことで解決しました。
 2つ目の条件は、「当該零戦の価値は10ミリオンダラー(約9億円)であり、運搬・展示期間を含め、その金額の保険に入ること」でした。零戦は美術品と違い、通常、市場などに出回るものではないため、全くその価値が計り知れませんでした。(確かに現存する飛行可能なオリジナル栄二一型エンジンは世界で唯一ですから、貴重かと思うのですが…。)そこで、零戦の鑑定をアメリカ側に依頼し、その鑑定書をもとに保険に加入することになりました。結果、ほぼPOF側の要求する10ミリオンダラーに近い鑑定金額が出て、POF側で保険会社を手配することになりました。しかし今度は、依頼した保険会社3社全てが「保険契約のNG」という回答でしたので、これには慌てました。再度、日米双方の保険会社をあたり、最終的にはロイズ系の保険代理店に引き受けていただき、何とか解決することができました。
 そして最後、3つ目の条件は、「アメリカ国務省より武器輸出許可を得ること」でした。実はこれが一番の難関でした。書類上は、未だに日本は敗戦国扱いとなっており、「フォーム9」なる書類の存在および提出が求められるとのことでした。通常、申請して許可が降りるのに2か月程度掛かるとのことでしたので、東日本大震災復興支援を兼ねて日本に貸し出す旨、米国下院議員への働きかけを行うなどの措置をとりましたが、実際には6月初旬に申請し、許可が降りたのは4か月後の10月5日となりました。

 最終的に、零戦招致を実現できましたことは、前述のとおりアメリカ側が震災後、日米友好の証として全面協力を申し出てくれましたことと、招致に掛かる多額の費用を全面的にバックアップしていただきましたスポンサー様、及び関係各位のご協力の賜でありますことを忘れることはできません。この場をお借りしまして厚く御礼申しあげます」

【宮崎駿の夢】零戦を日本人パイロットの手で、日本の空に飛ばす『アビエイタープロジェクト』
梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記〈1〉』 宮崎駿の零戦談話


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立正大学講演会「鈴木敏夫プロデューサーに聞く~3.11後のジブリアニメの予感~」

(2012年7月7日、9月23日、9月29日、2013年6月5日のツイート)

立正大学講演会・時代の風音に耳をすませば・・・。3.11後のジブリアニメの予感【前編】
立正大学講演会・時代の風音に耳をすませば・・・。3.11後のジブリアニメの予感【後編】
進行役は元NHKプロデューサー、現:立正大学文学部・社会学科教授・桜井均さん。

太陽の王子 ホルスの大冒険』は高畑・宮崎が当時所属していた東映動画のなかで、組合運動をやる過程で出てきた作品であり、と同時に組合運動が基盤となって出来た映画だから、そこを説明しない限り語ることはできない。(「雑誌でホルスを特集するなら16ページ寄越せ」と宮崎駿が電話越しに鈴木敏夫に言ったことの内実)

『太陽の王子 ホルスの大冒険』はベトナム戦争が基になっていて、守るべき村とは何かがテーマ。(鈴木敏夫がホルスを観て)「アニメーション映画でこんなことができるのか」とたまげた。驚いた。二人に会ってみたいと思うようになった。特段、大きな夢とか希望とかそういうものを持っていなかったが、この二人と会えば、何かが始まるんじゃないかと思った。その予感があった。

ホルスを観て1年ぐらい経ったあとに、ちょうど二人がそれぞれ別の作品の監督として映画をつくることになった(宮崎駿監督作『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)と高畑勲監督作『じゃりン子チエ 劇場版』(1981))。すぐに取材を申し込んだ。それから二人との関係が始まり、ジブリに至る。仕事とはいえ、それを超えたところで、なにかつくれるんじゃないか、なにかできるんじゃないか、とそんなことを思わせてくれる二人だった。二人もそういう問題を抱えていた。時代は日本列島改造でとんでもないことなっていた世の中に、高畑も宮崎も僕も、「なにかこれは本当じゃない。なにか嘘じゃないか」と思っていて、そういうものを映画のなかに、娯楽映画なんですけど、入れることによって、ある作品が出来ないかなと、それは三人のなかで一致していた。

親友だった男が自殺してしまった。なにかこれをやろうという気になれなかった頃に、高畑・宮崎と出会って、「もう一回やり直していこう」という気分になれたことを今も覚えている。他にも身辺に死んだ人がいて、こんなこというとかっこよすぎるんですけど、その人たちの分も生きてみようと思った。 

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鈴木敏夫『風に吹かれて』「実人生を降りるな」より

大島寛士という僕の友達に『おまえは実人生を降りるのか?』っていわれたんですよ。大学院に行ったら、その先は教育か研究、まあ教育だろうと。それは実社会ではない、実人生ではないんだと。もう一ついうとね、『普通にしゃべって通じることを理屈にする商売だぞ』っていわれたんですよ。それをいわれたときね、僕はガーンと来たんですよ。『おまえ、ちゃんと実人生に行ったほうがいい』っていわれた。それで、就職することに決めるんです。やっぱりその大島寛士って、僕にとっては大きかったのかな。

さっきの大島っていう友達がもう一つ教えてくれたんですよ。『一年目は働くなよ』って。一年目は徹底的にサボれ、そうすりゃ二年目から何をやっても褒めてもらえる、って。僕、それを実行に移したんですよ。

本当に。それでその彼は、僕にはそういう助言をしながら、自分はむちゃくちゃよく働くんですよ。僕は彼のいうことを忠実に守って、一年目サボって、そうしたら二年目から何をやっても本当に褒められるんです。でも、その彼は働き過ぎて、ノイローゼに陥るんですよ。一年目から会社の社長が考えるようなことを考えちゃってね。『そういうことは上に行ってから考えたらいいんじゃない?』って、逆に僕のほうがいったりしてね。というようなことをやっているうちに、その彼が自殺しちゃうんですね。これは僕にとっては、もしかしたら大きいのかなって思いますね。

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高畑・宮崎と出会ったとき、二人は60年安保の時代から生きてきた人たちだから、一方で非常に大きな理想を持ちつつ、一方で非常に現実主義者だった。それはある種の挫折を味わっていたから。そこが共通事項として、共有事項として、高畑・宮崎・僕のなかであった、そこが基盤にあったから、一緒にやっていけたような気分がある。

宮崎駿はある頂点に到達したと思う。でも普通、自分でその自覚があったら、たぶん辞めちゃうか、そのあとつくるとしても、カスみたいなものをつくるような気がする。ところが、いまだ高畑勲にしても宮崎駿にしてもその創作意欲は衰えるどころか、ますますエスカレートしている。あれは一体何なんだろうということを日々感じている。世間の評価は関係ない。

僕らが出会った頃、それぞれ皆もう若くなかったが、まだまだ言葉によって自分たちを奮い立たせていた。どういうことかといったら、例えば『風の谷のナウシカ』をつくる前、宮崎駿はそういう言葉を自分に叱咤激励のため課していた。その言葉は「一本の映画が世界を変えることがある」。本当に信じていた。一方で現実主義があったから、そういうことはありえないかもしれない。ただそのつもりでやらないと、やっぱりよくないというか、それがないと作品をつくれない。と同時に、これだけ作品をつくってくるとそうじゃないことも見えてきたりして。そういうことでいうと、今、この瞬間、もう一回そこに立ち返ってみたいというのが出てきている。信じることができないけど信じたい。

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ポニョはこうして生まれた。~宮崎駿の思考過程~
 2006年6月28日(水)「ゲド戦記」初号試写会

宮崎駿は長男・宮崎吾朗が監督した映画『ゲド戦記』を初号試写会で観る。その後、40年以上共に映画を作ってきた盟友である色彩設計の保田道世と宮崎駿のアトリエで会話を交わす。

宮崎「初めてにしては、よくやったっていうのは演出にとって侮辱だからね」
保田「だからその言い方も…」
宮崎「この1本で世の中を変えようと思って、やんなきゃいけないんだから。変わりゃしないんだけど」
保田「変わらないけどね…」
宮崎「変わらないけど、そう思ってやるのがね、映画作るってことだと思うから。実際には何も変わらないんだけど」
保田「でもね、でもやっぱりそう、そう思って、変えるんだって、気負ってやるんだろうね。やっぱし。もの作るって」

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「教養小説」という言葉は使っていないが、『耳をすませば』の企画書には「あるひとつの出会いで、お互いがお互いを高め合う」という言葉が入っている。人間にはそういうことがある。まさに『耳をすませば』はそれをやりたかった。一人の女の子が一人の男の子と出会う。で、お互いがお互いを高め合う。そういうものは僕らの子供の頃に、いわゆる大衆的なものを含めて、そういう教養小説を、小説だけでなくて実は漫画もそうだったんだけど、(そういうものを読んで)自分を高めるとはどういうことなんだろうと(思った)。その伝統がジブリの作品のなかにあることは確かだと思う。そういうことを僕らは子供のときにトラウマになっているので、どっかで好き。最近は流行らないかもしれないけれど、昔はすごい流行った小説で『宮本武蔵』なんてのがあって「剣の道に生きる」なんていって刀で強くなるだけかなと思ったら、人間的にも修養を重ねる。そういうものを皆好きだった。

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宮崎駿『出発点 [1979~1996]』所収
宮崎駿「なぜ、いま少女マンガか?」(『耳をすませば』企画書)より

 この作品は、自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさん達の、若い人々への一種の挑発である。自分を、自分の舞台の主人公にすることを諦めがちな観客──それは、かつての自分達でもある──に、心の渇きをかきたて、憧れることの大切さを伝えようというのである。
 自らを高めてくれる異性との出会い──チャップリンの作品は、一貫してそうだった──その出会いの奇跡の復活が、この作品の意図するものだ。

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獅子文六の『箱根山』という、仲の悪い2軒の旅館が観光開発をめぐって争う事実をもとにした小説があって、それぞれの旅館に年頃の男の子と女の子がいる。その二人が良い仲になる。いわゆるロミオとジュリエット。その二人が山に登って朝日を眺めながら「結婚しよう」という箇所がある。『耳をすませば』をつくっているとき、チラッとそのことを言った覚えがある。

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獅子文六『箱根山』
乙夫は東京へ出発する日の早朝、明日子を朝日ヶ丘に呼び出す。相愛の二人は別れの日に10年後の結婚を誓い合う。

近藤喜文監督『耳をすませば』
月島雫
「2ヶ月で帰って来ても、卒業したらすぐ戻って、10年くらいは向こうで修業するんだって」

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僕らの世代はドストエフスキーという名前をよく知っていた。『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』などの本を買ったりして、それを読まないと大学生ではないという感じが世の中の雰囲気としてあった。実は、皆さんに紹介したい本があって、「青春」という言葉と、それに「青年」という言葉があるでしょ。要するに、日本に昔からこの「青春」という言葉があったのか。僕自身もずっと気になっていた。例えば、江戸時代に「青春」「青年」という言葉があったのか。これは、実は三浦雅士という人が『青春の終焉』という本を書いて、そこで明らかにしている。実は「青春」「青年」という言葉は翻訳語だったことを指摘している。それで、ご承知のように、江戸時代には士農工商という身分制度があって、いわゆる自由に移動することができなかった。若者が夢を持って何かになろうと思っても、実現できない社会だった。ところが明治になって一変する。そういうときにこの「青春」「青年」という言葉が出てきて、要するに、この本をものすごく宣伝風にいうと、「19世紀、世界を変えたのはドストエフスキーとマルクスだった」という本。

これも宣伝コピー風だけれど、要するに、「青年には悩みがある」と訴えたのがドストエフスキーで、「青年が世界を変える」と言ったのがマルクス。三浦雅士さんが指摘するように、この二人の存在はすごく大きなことで、どういうことかといったら、この二つをくっつけたら、世の中にいろんな革命その他が起こりやすくなった。と同時に、いろんな作品もこの二人の影響をものすごく受けている。さっき宮崎駿の言葉として紹介した「一本の映画が世界を変えることがあるかもしれない」。これは非常にマルクス的。「若者だけが抱える固有の悩み」と「世界を変える」というのをドッキングしたら、怖いものがない。大きなことができるかもしれない。そういうことを三浦雅士さんが書いていて、僕らがつくってきた作品もそういうものの影響下のなかにあったのではないかと僕自身が実は思っている。もう76歳ですけど、高畑勲はその洗礼をもういっぱい浴びた人。宮崎駿の方もその影響を受けている。僕はそういう気がしている。

ちょっと前に、光文社の古典新訳文庫でドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の新訳が出て、一部の大学生の間で評判になった。マルクスの方も、NHKで『100分de名著 資本論』というすごい番組(※『100分de名著』定時放送前の特集番組『一週間de資本論』のことだと思われる)をやっていた。そういうのを少し齧ってみると、ジブリの魅力の一端がわかるのではないかと思う。

3.11という不幸な事件があった。被災地に映画を持っていこうということになって、何も考えずに「ポニョはどうですか?」と言ったら、関係者から「あれは困るんです」と言われた。それでトトロに落ち着いた。

実は3月11日は『風の谷のナウシカ』の公開日(1984年3月11日公開)。そのことを宮崎駿にいったら「オレは関係ないよ!オレのせいじゃないよ!」と。別に責めるつもりでいったわけではなかったが、偶然ってことはあるのだなと思った。

平成狸合戦ぽんぽこ』では、僕らはドキュメンタリーをやってみたかった。アニメーションで。今の多摩ニュータウンという町があるでしょ。あそこで何が行われたかというと、ひとつの大きな山を取り崩して、そこに住宅をつくったんですよ。「ああそうか。そういうことがあったんだな」と皆さん思われるかもしれないけれど、実は世界のいろんなところで住宅はつくられてきたけど、ひとつの山を壊して住宅街をつくる、これはたぶん人間の歴史のなかで最初の出来事ではないか。そこに目を付けた。そんな大きな出来事だったのに非常にすんなり、実際には反対運動その他あったんですけど、ではその山を取り崩すとき、そこに住んでいた動物たち、それこそ狸を中心とする皆はどうしたんだろうというのがスタート。

スタンリー・キューブリックという映画監督がつくった『バリー・リンドン』という作品がある。これを高畑勲が好きで、僕も実はものすごく大好き。どういう映画かというと確か18世紀ぐらいだったと思うが、その時代をまるごと再現して、そのなかに下手な役者さんを置いて、まるで本当の出来事をドキュメンタリーで撮るかの如く、つくった超大作だった。この試みがすごくて、ちょっと真似してみたいという(笑)。それでぽんぽこのとき、それを実際やってみようと思った。

お話の方は、今の多摩ニュータウンという実名を出しているがそこで起こった山の顛末だけでなくて、皆さんに観てほしいから喋るのだけど、高畑・宮崎その他の仲間が働いていた東映動画っていう話を先程したが、そのときの仲間たちを全員ある種擬人化(擬狸化?)して、その(『平成狸合戦ぽんぽこ』の)登場人物はそのときの(東映動画の)組合運動をそのままやっていて、観る人が観ると、誰が高畑勲で誰が宮崎駿なのか全部わかる仕掛けになっている。と同時に、高畑勲がもう一つ考えていたのが、あの人は本当欲張りなので、その狸たちの姿をみてると、ある種日本人の特性と非常に似たところがある。間抜けというか、なんていったって、化け学で人間に対抗しようというわけでしょ、そんなのうまくいくわけない。でもそれを復興させて頑張るという姿、そこにもしかしたら日本人のある姿があるのかなと。そんなこんなで、なにしろお話の方は、ひとつの話で三つの要素を持っていて、しかも描き方としていろんな人の視点から描く。まあ高畑勲というのは、本当欲張りで、すごい人。と同時にゆえに、何回観ても飽きない。ちなみに言うと、宮崎駿はぽんぽこを観て、滂沱の涙。泣きっぱなし。止まらない。自分に相当する人が途中で死んじゃう。そこでいちばん泣いていた。

『平成狸合戦ぽんぽこ』はフランス人にウケた。論理的だから。狸が化けるという素朴なところから説明してあるから、外人が観ても理解できる。

今、宮崎駿と高畑勲の二人がつくっている作品(『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』)は、誤解を恐れずにいうが、シナリオその他は3.11の前に出来ていて、それで3.11以降それをどうするのか(と話題に挙がった)。(その結果)二人とも一切変えてない。宮崎駿の方にも相談された。相談されたときに「変える必要はない」(と言った)。と同時に高畑勲の方は、僕はこういう話を伝えた。「3.11の結果、内容を変えた映画作品がものすごく多い」。それが僕はものすごく気になっていた。それを高畑勲に伝えた。「それはなんですかね?」と高畑勲は悩んだ。要するに、描こうとしていたものは、それを含んでいたのではないか。だから、今いえることは、そういうことが起きたからといってジタバタはしてはいけない。そう思って、自分たちのこれが良いと信じたものを今も一生懸命つくっている。

庵野秀明とは30年の付き合い。彼がつくっている新劇ヱヴァ序Qをみてて、余計なこというようだけど、ジブリ…高畑勲と宮崎駿に彼がライバル心を持ちながらやっているのがわかる。エヴァは巨神兵。東京都現代美術館の特撮展のため、庵野に特撮短編映画『巨神兵東京に現わる』をつくってもらった。実際に観るまではたわいのないものだろうと思っていたが、とんでもない。『風の谷のナウシカ』への庵野のオマージュ。原作者(宮崎駿)を超えて、オレの方が凄いだろう!と言っている作品。

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【鈴木敏夫のヱヴァ序・破の評価】
鈴木敏夫『風に吹かれて』「鈴木さんから見た『エヴァ』」より

「庵野って、あり得ない状況を作り出すのがうまいですよね。どうしようもない状況というかね。しかしそれに立ち向かうっていう話でしょ。だから、最後は精神的なものなんですよね。それがみんなの今の気分と非常にマッチするっていうのは、多少わかったことっていうのかなあ」「今のみんなの気分の中にある、全部なくしちゃいたいっていう、ある種の破壊願望。それをちゃんと満たしてますよね。だけれど、それじゃあいけないっていうんで、特に女の子たち中心にね、まあシンジももちろんいるわけだけれど、立ち向かおうとするわけでしょう?面白いのはそこらへんなんだなあってことはちょっと理解できましたね」「映画作る時のリズム。ある拍を押しながらやっていくという。そういうことがよくわかったんですね」「やっぱり怖いですよ、『エヴァ』って。そういう(嵌まったら抜け出せないという)魅力をちゃんと持っているから。僕、『序』なんか二回も観ちゃったんですから」「一回目ひとりで観てね。二回目はもうひとり置いといてもう一回観るとかね。でもやっぱり(『序』は)面白かった、うん。なんか純なものがあるんですよね、ピュアなものが」

【鈴木敏夫のヱヴァQの評価?】
ジブリの教科書「ナウシカは日本を変えたのか?」鈴木敏夫×朝井リョウ×川上量生 - 2013/04/14 15:00開始 - ニコニコ生放送

川上「(ナウシカの巨神兵作画の話の流れから)庵野さん今でも手抜きしないですよね」
朝井「そういう方なんですか?」
鈴木、首を傾げる。
川上「そうでもないですか!?」
鈴木「それは…大人になったんじゃないか…」
川上「(手抜きするのが)上手になり始めていると(笑)」
朝井「きれいな言葉で、大人になったと言い換えていただきました」

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※当記事の講演会における鈴木敏夫の発言は、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」ポッドキャスト、そして実際に講演会に行ったとき話を聴きながら書き殴ったメモと私の記憶から再現したものを含み、省略や言い換え、解釈が混じっており、原文のままではありません。なかには勘違いや拡大解釈されたものがあるかもしれませんが、あしからず。

「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」&特撮短編映画『巨神兵東京に現わる』
宮崎駿の原点&バトンの継承 三鷹の森ジブリ美術館企画展示「挿絵が僕らにくれたもの」展-通俗文化の源流-
ジブリ美術館事務局長の西岡純一氏が講演。高畑勲・宮崎駿の新作についても言及。
三鷹の森アニメフェスタ2012 宮崎吾朗監督講演会レポート
ジブリ汗まみれと『BEST OF アニメージュ』
『熱風』2011年12月号。鈴木敏夫と宮崎駿と富野由悠季。
『山口智子×鈴木敏夫“話をする二人”』の内容&宮崎駿の次回作についての考察
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