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宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』考察【公開前】

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 CDアルバム『MITAKA CALLING 三鷹の呼聲』(2019年発売)に宮崎駿が提供したイラスト。スタジオジブリ公式アカウントが2021年に投稿ツイートした新作の絵コンテの表紙のイラストと一致していたことから、宮崎駿の映画『君たちはどう生きるか』(2023年7月14日公開)のイラストであることが確定した。
 イメージボードのようにも思えるが、レイアウト用紙に描かれていて、カットナンバーも指定されていることから、映画冒頭のカット(Aパート・cut20)の作画担当者のために、宮崎駿が表現の説明として描いたものかもしれない。

主人公は孤独な少年です。彼は見失った自分の世界を取り戻そうとしている。私がこの種のキャラクターを作ったのは初めてです
宮崎駿インタビュー・女優ジュリエット・ビノシュとの対談【2018年6月】

 絵コンテ「Aパート・cut20」は、宮崎駿の前作の長編映画『風立ちぬ』(2013年公開)でいえば、二郎少年が夢の中で鳥型飛行機を操作して飛び上がろうとする場面に相当する。『君たちはどう生きるか』も「少年の夢」から始まるのだと思う。『君たちはどう生きるか』のために宮崎駿が描いた「cut20」のイラストは、現実の場面と考えるには、あまりにも異様な雰囲気を漂わせている。これの6カット後「cut26」は、本作最大級の原画枚数「1068枚」を費やして、時間と手間をかけて作画された。『君たちはどう生きるか』映画の主人公の少年が「母親を喪失したトラウマの悪夢」が描かれるのだと思う。

 「主人公の少年が手にして読む本」吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』が出版されたのが昭和12年。絵コンテ(Aパート)を執筆する宮崎駿の作画机に飾られてあった山川惣治『爆弾サーカス』(ペン画)のレコード紙芝居が発売されたのも昭和12年。「昭和11~13年」の長野の一農村の写真記録を収めた本を参考資料としていたことからも、映画『君たちはどう生きるか』の時代設定は「昭和12年(1937年)」と考えられる。
 さらに宮崎駿の「自伝要素」を考慮に入れると、宮崎駿の名前の由来となったと思われる「軍人・多田駿」が陸軍参謀本部次長の要職に就いたのも昭和12年。宮崎駿の父親「宮崎勝次」が召集されて兵隊に取られた(しかし戦地には行かなかった)日中戦争が始まったのも昭和12年だ。映画『風立ちぬ』の「堀越二郎の現実パート」は、九試単座戦闘機の飛行試験が成功した昭和10年(1935年)で終わっている。『風立ちぬ』から『君たちはどう生きるか』へ、時代設定は連続して繋がっていて、いよいよ戦争が始まった時代の日本を描くのだと思う。

 太平洋戦争末期(1945年)、東京から栃木に疎開していた宮崎駿(4歳)は、宇都宮空襲に遭っている。そのときの疎開先の家は、B29の焼夷弾の被害を免れ、宮崎駿は小学3年生(9歳)まで住んでいた。『となりのトトロ』「サツキとメイの家」の階段や『風立ちぬ』二郎の群馬の生家にイメージが反映されている、その家は現存しており、2012年にはギャラリー「絆和(HANNA)」としてオープンしている。2015年頃、宮崎駿は1人お忍びでギャラリーを来訪して、昔のわが家を懐かしがったという。
 「2015年にぼくをしあわせにしてくれた本」と三鷹の森ジブリ美術館の図書閲覧室「トライホークス」で宮崎駿が推薦していたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』が、映画『君たちはどう生きるか』制作のきっかけであると思われる。第二次世界大戦下のイギリスの少年の物語を読んで、「子どもの頃の心の蓋」が開いたのだと想像できる。栃木の家に訪れようと思ったきっかけも、その本を読んだことにあるのかもしれない。

 「大正末期から昭和初期」の栃木の食事を紹介している本を参考資料にしていたことと、『君たちはどう生きるか』制作初期の2018年に社員旅行で栃木に行っていたことから、映画の舞台が「栃木」である可能性は高いように思う。
 他の可能性も探ってみたい。吉野源三郎の小説の舞台「東京」。前述の農村写真集の「長野」。映画に反映された鈴木敏夫の小学生時代の体験場所「名古屋」。映画公開日の金曜ロードショーのジブリ映画『コクリコ坂から』の舞台「横浜」。後述するように「主人公の少年は旅をする」から日本各地を転々とする可能性だって否定できない。

 宮崎駿が宇都宮空襲の体験者であることから、映画『君たちはどう生きるか』冒頭「cut20」に描かれている「火事」は「空襲によるもの」と速断したくなるかもしれない。しかしここで立ち止まって考えてほしいのだが、宮崎駿も『雑想ノート』に描いているように太平洋戦争が始まるまでは日本本土に爆弾は落とされていない。映画が日中戦争初期から始まる前提で考えると、「火事」は「空襲によるものではない」と判断するのが穏当だと思う。


(三鷹の森ジブリ美術館企画展示「幽霊塔へようこそ展」パンフレット)
 戦後しばらくして東京に戻った宮崎駿は、小学校から中学校にかけて通った近所の本屋で、一冊の本『君たちはどう生きるか』と出会った。

『君たちはどう生きるか』は1937年に出された本です。今回の映画は、主人公が亡くなったお母さんの本を整理していて、この本の表紙をめくったときにお母さんからの手紙を見つけ、そこから物語が始まります
ジブリ鈴木敏夫さんが見据える、メディアの本質と未来像

お母さん亡くなっちゃうんですけれど、本の整理をしてたら、本が落っこちて、『君たちはどう生きるか』って。そのね、表紙をめくったところにね、主人公に対してね、“お母さんから” つって、彼にね、手紙が書いてあるんです。そういう始まりなんですよ
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 講演会『メディアたちはどう生きるか』後編

 映画『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の本のストーリーをそのまま使ったものではなく内容は全くの別物。映画『風立ちぬ』が、堀辰雄の本のストーリーと内容が全くの別物だったのと同じである。おそらく主人公の少年が「母親を喪失する」悪夢から目覚めて母親の遺品整理をしているときに、吉野源三郎の本『君たちはどう生きるか』から母親の手紙を見つけて、それから物語が展開していくのだろうと想像する。

 宮崎駿の母親「宮崎美子」は、1947年に結核菌が原因の脊椎カリエスという難病にかかって、9年間、体をギプスで固定されて「首と手しか動かせない」闘病生活を余儀なくされた。宮崎駿は男4人兄弟だったが、彼らの思春期・成長期の大部分において、「実質的に母親を欠いていた」と宮崎駿の弟・宮崎至朗は証言している(『天空の城ラピュタ GUIDE BOOK』宮崎至朗「兄・宮崎駿」)。

 『君たちはどう生きるか』の絵コンテ(Aパート)を読んだ鈴木敏夫の感想は、「宮崎駿は自分の少年時代を描いていた」であった。


 宮崎駿が『岩波少年文庫の50冊』のため描いたイラスト。本を読むことが好きだった少年時代を描いた。「チク」という名前の犬を飼っていた。

 『君たちはどう生きるか』の参考資料として使用されていた長野の農村「會地村」の写真記録本に【授業】と書いてある付箋が貼られていた。実際に本を開いて該当箇所を探してみると、「昭和12年前後」の小学校そして青年学校の教室での授業風景の写真が各々1枚見つかる。『君たちはどう生きるか』の序盤で、『風立ちぬ』では極僅かだったが、主人公の少年の学校生活が描かれるのだと思う。写真に映っている男子は、皆丸刈り頭。男子の学生服が、大正期の二郎の少年時代はまだ着物姿だったが、皆洋服に変わっている。主人公の少年と思われる「cut20」の駆けている後ろ姿であるが、「洋服」であるように見える。

 『君たちはどう生きるか』主人公の少年は「みっともない男の子」。「エヴァンゲリオン」の最重要スタッフだった作画監督の本田雄が描くことで、「少年の孤独感」が深まったそうだ(『yom yom vol.61』「鈴木敏夫&養老孟司 対談」)。「碇シンジ君」みたいな立ち居振る舞いをする「ジブリキャラクター」が観られるのかもしれない。


『ブラッカムの爆撃機』宮崎駿「ウェストール幻想 タインマスへの旅」)

昭和12年7月7日の盧溝橋事件をまだ対岸の火のように考えていた会地村の人たちも、15日の深夜3名に赤紙(召集令状)が来るに及んで俄然緊張した。日をおかず次には20余名に赤紙が来た。兵士だけでなく強健な馬も徴発された。戦争の拡大に不安を抱いていた村人も、事ここに至っては、これはただごとでないと悟った。役場では銃後を守るための対策を講じた。在郷軍人、消防団、青壮年団の人たちが立ちあがり、婦人を総動員して「大日本国防婦人会会地支部」が結成された。その後も出征は相ついで、戦死された方もふえてきて、不安はつのるばかりであった。5年たち、もうなんとかならないかと思っている時、昭和16年12月8日に突然朝のラジオで、「我陸海軍は米英と戦争状態に入れり」と言う放送を聞き、言葉を失った
熊谷元一『写しつづけて69年 會地村―阿智村 昭和・平成』

 『君たちはどう生きるか』絵コンテBパート~Cパートを描いていた2017年、宮崎駿は吉野源三郎の話を聴くため、長男の吉野源太郎と会っている。宮崎駿が特に強い関心を抱いていたのは、吉野源三郎の「獄中体験」だったという。吉野源太郎は「あくまで推測ですが」と前置きをして、「(宮崎駿は)戦中に幼少期を過ごした体験から、軍国主義下での自問自答の複雑さを(映画『君たちはどう生きるか』で)丁寧に描きたいのだと思います」と語っている。
 宮崎駿の妻の父親「大田耕士」は、昭和13年に創刊した風刺漫画誌『カリカレ』の中心人物で、昭和16年に治安維持法によって検挙され、獄中にいたことがある。『君たちはどう生きるか』制作中、ジョバンニ・ミラバッシが反戦歌や革命歌をピアノで弾くCDアルバム『AVANTI!』を宮崎駿は聴いていた。『風立ちぬ』で暗躍するスパイや特高(特別高等警察)を登場させたりしていたが、『君たちはどう生きるか』はもっと反戦色が濃い映画なのかもしれない。

 『君たちはどう生きるか』絵コンテBパートは「ジメジメした男の子の深刻な話」が描かれていたそうだが、途中から「溌剌とした元気な男の子の話」へと方針転換したようである。『千と千尋の神隠し』で「グズな女の子・千尋」が油屋で働くことでキチンとするようになっていったことや、序盤の「おどろおどろしい異界の雰囲気」が持続しなかったことを想起させる。
 「楽しい宮崎アニメが生まれる予感がありますね」とアニメーターの井上俊之が2021年にコメントしていたが、『君たちはどう生きるか』参加時期に作画したのが「方針転換」以後の絵コンテであると考えれば、納得できる。


 宮崎駿が描いた映画『君たちはどう生きるか』のポスタービジュアル。登場キャラクターの「サギ男」だと思われる。

(『君たちはどう生きるか』に)特徴的なある男が出てくるんですよ、サギ男っつってね。なんかちょっと悪い奴なんですよね。こいつがね、主人公と喧嘩しているわけ。事あるごとに喧嘩するのよ。そしたら、あるお姉さんがね、「ふたりとも仲良くやんな」つって。そんなセリフがあって。だいたい近い人をモデルにしてるでしょ。だいたい僕わかったんですよ。その「ふたりとも仲良くやんな」つったのは、ジブリにずっといた色の職人で保田道世さんという人がいて、この人なんですよね、年は若いけれど
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 米津玄師さんを迎えて その1

 「感想を言葉にすることすら叶わないくらい素晴らしい」『君たちはどう生きるか』絵コンテCパート(映画中盤)から出てくるらしい「サギ男」(鈴木敏夫『禅とジブリ』「プロローグ」)。宮崎駿は「否定している」が、鈴木敏夫は「自分がモデル」のキャラクターだと公言している。「鈴木敏夫の一番のお気に入りジブリキャラ」だと思う。「宮崎駿と鈴木敏夫がしてきた会話のやりとり」がそっくりそのまま「主人公の少年とサギ男」で再現されているという。
 主人公の少年とサギ男の喧嘩を仲裁する「ひびこ」。宮崎駿作品の色彩設計を務めてきた「保田道世」がモデルらしい。サギ男と並んで、『君たちはどう生きるか』で名前が公開前に明らかになっている数少ないキャラクターであるが、「カンヤダの着物姿」をモデルに描いた『君たちはどう生きるか』のヒロインと同一人物であるかどうかはわからない。

(『君たちはどう生きるか』の)絵コンテでは、二人で旅に出ます。アオサギが変化したサギ男という、いいキャラクターなんです」「あのサギ男というのは近代にはいない、いいキャラクター」「僕は主人公の宮さんと二人で冒険に行かなきゃいけない
『yom yom vol.61』「鈴木敏夫&養老孟司 対談」

 「二人で旅に出る」というキーワードから、「一人の少年と一匹の犬で旅に出る」ロバート・ウェストール『海辺の王国』を私は思い出す。『失われたものたちの本』と同じ、第二次世界大戦下のイギリスが舞台だ。空襲によって家族を失った少年ハリーは、同じくドイツ軍の爆撃によって飼い主を失った犬と、戦時下のイギリスを彷徨いながら旅をする。映画『君たちはどう生きるか』と共通点になるかもしれないと思っていることがあるが、ネタバレになるからここではあえて書かない。名作だから、未読の人には是非読んでもらいたい。


 「鷺」(サギ)を捕る「鳥捕り」が仕事を終えて、汽車に戻ろうと「両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのやうな」格好をしているところ(『まんがで読破 銀河鉄道の夜 宮沢賢治・作』)。

 宮崎駿の妻「宮崎朱美」は、宮沢賢治作品の大ファンだそうだ。「宮沢賢治作品の要素」を宮崎駿は自作に持ち込んで「妻のご機嫌とり」をしていると、鈴木敏夫は言う(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ「もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展~鈴木が愛した風景写真~」後編)。『どんぐりと山猫』は『となりのトトロ』のモチーフ、そして『銀河鉄道の夜』は、『千と千尋の神隠し』の「電車のシーン」と『ハウルの動く城』の「星が降ってくるシーン」のモチーフになっている。
 『君たちはどう生きるか』のキャラクター「サギ男」という名前から、私は『銀河鉄道の夜』に出てくる「鳥捕り」を連想する。モーツァルト最晩年のオペラ『魔笛』にも、主人公と行動を共にする「鳥捕り」を生業とする「パパゲーノ」という人物が出てくるが、彼は「鳥の扮装」をしている。『君たちはどう生きる』のレイアウトとジブリパーク開園記念のイラストから判断して、サギ男は空を飛べるようだ。オペラの公演でそういう演出をしているのがあるのかは知らないが、ロシアのアニメーターが作画しているアニメーション版の『魔笛』ではパパゲーノは空を飛んでいた。

 『君たちはどう生きるか』は「冒険活劇ファンタジー」と報告されたのは、宮崎駿がCパートの絵コンテを描いていた頃だ。少年は「ファンタジー・キャラクター」の「サギ男」と「冒険」の旅に出る。「山川惣治の絵物語を参考にしている」そうだから、「活劇要素」は、『少年タイガー』『少年ケニア』といった「密林冒険物語」からの影響があるかもしれない。『少年タイガー』に出てくる怪人「ブラック・サタン」が「サギ男」の元ネタではないかと考察する外国人のツイートを見たことがある。
 『君たちはどう生きるか』主人公の少年とサギ男が旅に出るそうだが、『失われたものたちの本』のように迷い込んだ「異世界」を旅するパターンか、『海辺の王国』のように「現実」の日本を旅するか、『風立ちぬ』のように「夢」と「現実」を行き来しながら旅をするパターンの、3つのうちのどれかではないか。「サギ男とひびこ」が主人公の少年にしか見えない「イマジナリーフレンド」のような存在であれば、2つ目の解釈も成り立つと思う。


 『まんがで読破 銀河鉄道の夜』では、宮沢賢治が「第4次稿」で消去した「ブルカニロ博士」を登場させている。

お前はも一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないゝ子供だ。よくあの棘の野原で弟を棄てなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうはだしで悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ
宮沢賢治『ひかりの素足』

 『君たちはどう生きるか』絵コンテDパートを宮崎駿が描いていた頃、『ひかりの素足』の「あなたはもとの世界に帰りなさい」が今度の映画に出てくる、と鈴木敏夫は語っていた。『ひかりの素足』は、雪嵐に遭った兄弟が「あの世」に行き、「この世」に兄だけが戻ってくる話だ。『銀河鉄道の夜』の先駆的作品といえる。『ひかりの素足』で「道を教える」菩薩の役割は、『銀河鉄道の夜』(第3次稿まで)においては「ブルカニロ博士」が果たしていたといえるだろう。
 宮崎駿が悪戦苦闘しながら描いた絵コンテDパートに「高畑勲がモデルのキャラクター」が出てくる。宮沢賢治作品の「菩薩」や「ブルカニロ博士」のように、「現実世界」と「異界」の狭間に立つ、少年を教え導くキャラクターなのだろうか。『風立ちぬ』での二郎少年にとっての「カプローニ」のような存在かと思われるが、「高畑勲の死」によって、『銀河鉄道の夜』の「ブルカニロ博士」のように「存在を消される」まではいかなかったが、「高畑勲がモデルのキャラクター」の出番は当初の予定より「あっさり」としたものになったようだ。

 絵コンテ「Dパート」が『君たちはどう生きるか』の最終章になる予定だったが、「宮さんダメですよ、もっと長くやりましょう」と鈴木敏夫の進言があり、「高畑勲によって導かれた宮崎駿」というテーマが「高畑勲の死」によって変わっていったことも影響してか、「Eパート」まで描かれることになった。

 『君たちはどう生きるか』絵コンテ完成後、監督とプロデューサーの2人は「始める時は想像もつかなかったけど、ずいぶん遠くまで来た」(宮崎駿)「最初に計画してたやつがね、全部引っ繰り返った」(鈴木敏夫)と述懐している。


『風の王子たち』(ボードウイ作 安東次男訳 寺島竜一絵)

あなたがこの本を読んでグライダーに乗りたいと思ったら、あきらめてはいけません。今の日本でならチャンスを見つけることができます。もちろん、はじめからひとりでは翔べません。ふたり乗りの機体に乗せてもらうのです。ぼくは近眼で、しかも机にかじりつく仕事を選んだので操縦はあきらめましたが、何度か乗せてもらいました。今は、たとえあなたが近眼で眼鏡をかけていても大丈夫です。ひとりで翔べるようになったら、きっと本当の素晴らしさが判るのだと思います
(『岩波少年文庫の50冊 選・宮崎駿』)

 『日本昭和航空史 日本のグライダー 1930~1945』(川上裕之著)という本を、『君たちはどう生きるか』制作の参考資料に使用していたと思われる。アニメーター山森英司の「レシプロ機はいいなぁ……」という嘆きと合わせて考えると、エンジンとプロペラが付いてない(レシプロ機ではない)「グライダー」が、山森英司の作画で『君たちはどう生きるか』作中に登場する可能性は高いと思う。映像制作の後半時期の「嘆き」であるから、該当するのは映画後半の場面ではないだろうか。
 『君たちはどう生きるか』の主人公は、『風立ちぬ』主人公の堀越二郎、そして監督の宮崎駿と同じく、飛行機好きな少年なのかもしれない。グライダーは競技スポーツの一種として戦前にすでに普及していて、昭和12年から少し後になるが、日本全国の中学校にグライダーが配布されるということもあったそうだから、主人公の少年がグライダーに触れる機会も作れそうだ。
 『君たちはどう生きるか』「美術」を担当している吉田昇が、雪に覆われた山を描いていた。この大パノラマの背景をバックに、主人公の少年が乗ったグライダーやサギ男が滑空するのかもしれない。

山本有三原作の「眞実一路」(1954年)ですけれど、僕はこの映画を最近見直して無茶苦茶面白かったんです。今、宮崎駿と「君たちはどう生きるか」という映画を作っていて、内容的に少し関係あると思って見直したんです。少年がどう生きていくかの話ですからね。主人公の少年は生まれてからずっと、母親は死んだと聞かされてきた。でも実は生きていて、これを淡島千景が演じているんです
『キネマ旬報 2018年11月下旬号』鈴木敏夫「新・映画道楽」)

 絵コンテDパートを宮崎駿が描いていた頃の鈴木敏夫の発言であるが、「亡くなった」とされている『君たちはどう生きるか』主人公の少年の「母親」が、実は「生きている」可能性があるかもしれない。『千と千尋の神隠し』の冒険の終わりには、千尋のもとに両親が戻ってきた。『君たちはどう生きるか』の少年のもとにも、母親が戻ってくるのだろうか。
 「宮崎駿の自伝」という視点から考察すると、宮崎駿の母親「宮崎美子」は、闘病の末に「起き上がって家の中を歩くようになる」まで回復した。だから、『君たちはどう生きるか』が「宮崎駿の個人史」を辿るのだとすれば、「母親が戻ってくる」ことはありえない話ではない。でも、そのとき駿少年はもう高校生に「成長」していた。これも映画に反映されている可能性はある。


 (左)『ハウルの動く城』魔法で怪物に変身した人間。(右)『風立ちぬ』二郎の夢に現れた「幻想のツェッペリン」爆弾虫に搭乗しているヒトガタ。

 『風立ちぬ』で「戦争の問題が中途半端に終わって片付かなかった」ことが、「宮崎駿の引退が失敗した」原因の1つであるという。『君たちはどう生きるか』は「日中戦争初期の戦時下の日本を舞台にした少年の物語」と予想しているが、戦争の暴力描写がどれほどあるかはわからない。『もののけ姫』のような人間と人間が殺し合うハードな描写は、少年が主人公であるし、リミッターを解除して描くとはちょっと考えにくいが、「戦争によって怪物になってしまった人間」が描かれる可能性は考えられる。『風立ちぬ』で「時空を超える」裏技を「二郎とカプローニの夢のシーン」で宮崎駿は使ったが、『君たちはどう生きるか』でも使えばもしかしたら、少年が戦地にいなくても「戦争」が向こうからやってくるかもしれない。
 「戦地」に行かなかった宮崎駿の父親「宮崎勝次」は、軍用機の部品を作る工場を家族経営して戦時中は経済的に潤っていた。そのような親たちに養われたことを宮崎駿は、「間違いの産物」と「自己否定」して、「戦争を否定する本」や「戦争の惨憺たる写真」ばかり読み漁っていた。「戦争責任」について、思春期に宮崎駿は父親と口論した。「戦争をしたのは軍部であり自分ではない、スターリンも日本人民に罪はないと言った」。そして、母親の持論は「人間は仕方がないものなんだ」だった。『君たちはどう生きるか』で宮崎駿は両親とどのように向き合うのだろうか。
 「僕はここにいてもいいんだ!」と宮崎駿が叫び出す、『君たちはどう生きるか』が宮崎駿にとっての「エヴァンゲリオン」のような作品だったら、碇シンジの側に付き添っていた「渚カヲル」や「綾波レイ」に「父と母の性質」が投影されたように、宮崎駿の「父と母の性質」が「サギ男」「ひびこ」に投影されているのではないかと想像する。

 『君たちはどう生きるか』制作最初期に「宮崎駿は孫のために作っている」と鈴木敏夫は言っていた。だから、映画の対象は「小学校高学年~中学生の少年」であると思われる。『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』(2011年発売)「3月11日のあとに 子どもたちの隣から」の章で、宮崎駿は「今ファンタジーを僕らはつくれません」と言って、『風立ちぬ』(2013年公開)を作った。それから10年、『君たちはどう生きるか』が、「おそろしく轟轟と吹きぬける」「死をはらみ、毒を含む」「人生をを根こそぎにしようという」「風が吹いている時代」に生きる子どもたちが「ほんとうに観てよかった」と思える「強靭なファンタジー」であることを願っている。

(記.2023年7月10日)

theme : スタジオジブリ
genre : 映画

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初めまして。
映画を観ました。空襲で母を亡くした少年が疎開して、終戦(敗戦)になって帰っていくという作品でした。
疎開先の学校に初登校する際、最も目立つ成金趣味全開の方法に対して何も感情を表さなかったことに唖然としました。自ら側頭部を傷つける心理も理解できませんでした。
不思議の国の探索での経験は、少年の個人的体験でしか無く、世間には何も影響を与えずに日本国は戦いに敗れます。負けて戦闘のなくなった平穏な町に少年は帰っていきます。
少年は宮崎駿氏自身だそうですね。
不思議の国で、自らの業績を振り返ります。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ とは違いますが、似たようなものです。
そして「君たちはどう生きるか」。

余計なお世話だと思いました。
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Author:紫の豚

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